北ぶらくり丁の歴史
北ぶらくり丁の名前のルーツでもある「ぶらくり丁」は、江戸時代の天保元年(1830年)の大火の後、商人が集まってできた通りの名称で、その後明治・大正・昭和・平成・令和と190余年の歴史を持つ商店街です。
時代を経て出来た北ぶらくり丁は、ぶらくり丁から約100m北側に位置する全長225m(東西)の商店街で、この地域のぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、そして南北に交差する本町通り、ぶらくり丁大通り(元寺町)と共に和歌山市の商業集積として親しまれてきました。
名前の「ぶらくり」は、江戸時代の間口税の影響の為か間口の狭い店が多く、軒先に商品をぶら下げて(ぶら下げる=ぶらくる)陳列したことが由来と言われています。
和歌山市の中心部は昭和20年(1945年)7月の大空襲で大部分の建物を焼失しましたが、復興が進むに連れて賑わいを取り戻して行きました。
萬町(よろずまち)やぶらくり丁に多くの卸売、小売が集まり、地場の丸正百貨店も再建され、周辺には映画館や飲食店も立ち並び多くの人出を集めるようになっていきました。
そして本町通りには銀行や証券会社などの金融機関が並び、公園前では和歌山県立医科大学と附属病院が地域医療の先端を担い、1970年代にはジャスコ、長崎屋、大丸百貨店、ニチイなどの大型店も加わり和歌山市の大規模な広域商業集積の中心市街地を形成するに至りました。
北ぶらくり丁商店街は洋服、和服、靴などのファッション関連を中心に、時計、宝石、眼鏡、寝具、文具、雑貨、さらに飲食店も揃った買い回りのできる商店街として成長していきました。
1980年代になると郊外に大型スーパーが出店するようになり、また大学や病院なども郊外に移転するなど中心部の集積に陰りが見え始めます。バブル崩壊以降は大型店の撤退や閉店なども進み、商店街にはシャッターの閉まった店が増えていきます。さらに2000年を迎える頃にはインターネットが本格普及して楽天やAmazonが台頭。商店街にとってはさらに厳しい時代がやって来ます。
その頃、北ぶらくり丁に於いても多くの店が閉店したままとなり、何とかしようと様々な試みに取り組んだことは言うまでもありません。また地元行政も中心市街地の落ち込みを止めようと施策を次々に打ち出します。
中心市街地を再興するための組織=TMO(Town Management
Organization)の役割を担うまちづくり会社=株式会社ぶらくりが誕生したのもこの時期です。
しかしながら日本中の多くの都市が同じような問題を抱えてることからも分かる通り、中心市街地の問題はそう簡単に解決できるようなことではありませんでした。
そんな状態が続く2007年、待望のニュースが発表されました。地域の課題の中でも最大の懸案事項であった丸正百貨店跡が地元の有力企業である島精機製作所の絶大なる協力により、多くの困難を乗り越えて和島興産がフォルテワジマを開店してくれました。また北ぶらくり丁のすぐ隣、旧東映映画館の跡に紀の国ぶらくり劇場が開館するなど明るい話題も出始めます。
それでも街の様子が一気に変わることはなく一進一退でしたが、2010年代になると北ぶらくり丁商店街では世界のドキュメンタリー映画の上映会やサウンドアートのライブイベント「点音
in 和歌山 2015
鈴木昭男+梅田哲也」、手作り雑貨「マルシェ・ド・プティパ」など限定された分野にターゲットを絞ったより個性的なイベントが開催されるようになります。
近隣では公立の小中一貫教育の和歌山市立伏虎義務教育学校の開校を皮切りに、東京医療保健大学、和歌山信愛大学、宝塚医療大学、和歌山県立医科大学薬学部などが相次いで開校して、街中に若い世代の姿が増加する状況が生まれます。これは歴史的に見ても「大事件」であり、和歌山市全体を通してみても大きな転機となりました。
同時期に実施された「リノベーションスクール」「マチドリ」「チャッカソン」という和歌山市の一連の施作は地域に愛を吹きこみました。
今そこににある現状を受け止め、それを活かす心を育てる。そこに暮らす自分たちが自分たちのために、そして未来のために街をつくる。
TMO誕生から20年を経て多くの若い世代が街の中で動き始めました。
商店街の通りを見ると、時折新規開店はあるものの相変わらずシャッターの閉まった店舗も多く、目の覚めるような賑わいを見るところまでは行っていません。
ですが、何か変わってきたなと多くの人が思う所までやって来ました。
中身は確実に生まれ変わりつつあることは明らかです。
昔の物を大切にしつつも、これから向かう先は昔ではない。皆それを感じています。
2022年春、北ぶらくり丁は商店街の中に北ぶらくり丁会館に接する一件の店を買い取りました。閉店してからでもすでに30年以上経過した古い木造の店舗です。木の引き戸、琺瑯の看板、少し波打ったガラス、そんな昭和が色濃く残る店を「北ぶらBASE」と名付けて人が集まっておもしろい場所になるようにしてる最中です。
夏には若い世代の住民がを中心になって「北ぶらサニー実行委員会」が誕生しました。
秋には古い店舗と屋号をそのまま引き継いで、昭和の香りのする新しい店が誕生しました。
流れは加速しています。
- 北ぶらくり丁の沿革
-
北ぶらくり丁/中心市街地から消えたもの
1986年 和歌山大学 キャンパスを栄谷地区へ移転・統合
1998年 大丸百貨店閉店
1998年 和歌山県立医科大学 紀三井寺キャンパスに移転
2001年 丸正百貨店閉店(倒産による閉店 1891年開店)
2001年 ビブレ閉店
2002年 長崎屋閉店
2002年 ワボック閉店(ビブレ跡)
2003年 帝国座閉館(映画館)
2005年 和歌山東映シネマ閉館(映画館)
2005年 シネマプラザ築映閉館(映画館)
2009年 ジョーシンコバヤカワ閉店
2010年 宮井平安堂閉店
2010年 マクドナルド閉店
2014年 高島屋閉店
郊外に誕生したもの
1981年 ダイエー和歌山店開店
1982年 イズミヤ和歌山店開店
1992年 オークワスカイシティ泉南開店
1993年 オークワパームシティ開店
1994年 和歌山マリーナシティ開業
1995年 日根野ジャスコ開店
2000年 りんくうプレミアムアウトレット開店
2004年 イオンりんくう開店 2004年 オークワガーデンパーク開店 シネコン開館(映画館)
2014年 イオンモール和歌山開店
インターネットの出来事
1997年 楽天市場開業
1999年 ADSLが開通してブロードバンド時代が始まる
1999年 NTTドコモのiモードサービス開始
1999年 ヤフオク開始
2000年 Amazonジャパン開業
2003年 光回線誕生
2004年 mixiがサービスを開始
2007年 YouTubeが日本語版のサービスを開始
2008年 iPhone日本で発売開始
2008年 Facebook、Twitterが日本語版サービスを開始
2013年 メルカリ開始
2014年 Instagramが日本語版サービスを開始
北ぶらくり丁/中心市街地に誕生したもの
1970年 ジャスコ開店
1970年 長崎屋開店
1971年 大丸百貨店開店
1973年 ニチイ開店
1990年 丸正百貨店建て替え新装開店
1999年 和光電器・ダイソー開店(大丸跡)
2000年 TMO=株式会社ぶらくりの本拠地「JAM PICNIC」開店
2000年 和歌山楽市楽座開店(大丸跡一部)
2002年 ワボック開店(ビブレ跡)
2003年 済生会和歌山病院開院(和医大北館跡)
2004年 シティ和歌山開店(長崎屋跡)
2005年 ドンキホーテ開店
2005年 ダイワロイネットホテル開業(和医大跡)
2007年 フォルテワジマ開店
2007年 紀の国ぶらくり劇場開館
2010年 みんなの学校開設(ジョーシンコバヤカワ跡)
2012年 アパホテル和歌山開業
2017年 和歌山市立伏虎義務教育学校開校
2018年 東京医療保健大学看護学部開校
2019年 和歌山信愛大学開校
2020年 本町公園 Park-PFIによる運営開始
2020年 宝塚医療大学和歌山保健医療学部
2021年 和歌山県立医科大学薬学部開校
2021年 和歌山リハビリテーション専門職大学
2021年 和歌山城ホール開業
2022年 北ぶらBASE開店
2022年 北ぶらサニー実行委員会結成